僕は今、無性にゴーヤチャンプルーが食べたいです。
どうも山田です。
5月8日(ゴーヤの日)に27歳になりました。
誕生日当日は水曜日でしたが、こちらでは5月8日は「戦勝記念日」(つまり第二次大戦においてドイツが降伏した日)ということで祝日でお休み。
家でゴロゴロしていました。
どっかかからお誘いがかかるのを待っていましたが携帯はならず…。
それもそのはず。こちらでは、誕生日会というのは開いてもらうものではなく、
誕生日を迎える本人が企画・開催するものなのです。
でも、サプライズパーティの場合はもちろん別です。
そういや先月、友達のサプライズバースデーパーティがあるとのことで行ってきました。
パリの某イタリア料理店で待つこと一時間。
恋人に連れられて、何も知らない主役が登場!
サムです。
サムとはもう9年来の付き合いになります。
アシェール(Achères)というパリ郊外の小さな町でサッカーをしていた時のチームメイトです。
すごい陽気な奴で、まだ言葉もわからなかった当時の僕に最初に話しかけてくれたのがサムでした。
いつも「タック、元気か?」と、僕を気にかけてくれ可愛がってくれていました。
そういや、僕に「タック」とあだ名してくれたのも彼でした。
(たぶん「TAKESHI」が言いにくいか覚えにくいかで「TAK」に)
今回も数年ぶりの再会で、僕を見つけるなりすごく喜んでくれました。
今回の出席者はもちろんみんなサムの友達なんですが、僕の知らない人ばかり。
するとサムは、「みんな、タケシを知ってるか!?
こいつはまだ18歳の時に、言葉もわからないのに一人でサッカーをしにフランスに来たんだ!
すごい選手だったんだ!」とあちこちに紹介して回ってくれるのです。
みんなダンスに夢中で聞いてへんかったけど…(笑)
結局、食って飲んで踊っての宴は朝まで続きました。
サムは、僕たちが当時一緒にプレーたチーム(CS Achères)で今もサッカーをしているそうで、
「今度リーグ戦で大事な試合があるんだ。観に来いよ!」というので、観に行ってきました。
久しぶりに訪れた青春のホームグランドは何も変わっていませんでした。
あぁここでサッカーしてたんやなぁ…
フランス人に混じってプレーする山田(当時) |
18歳のあの頃に戻ったような気持ちになり、あの頃の思い出が頭の中によみがえってきました。
言葉が通じず思うように考えを伝えられなかったこと、
試合でゴールを決めるとみんなが駆け寄って祝福してくれたこと、
試合に勝ってみんなで抱き合い喜び合ったこと、
言葉がわかるようになってきてみんなと笑い合えたこと…。
(後からわかったことですが)こんなこともありました。
当時言葉のわからなかった僕に対して、
相手選手から人種差別というか侮辱的な言葉を受けることがあり、
それが原因で乱闘になったりすることがありました。
つまり、チームメイトのみんなが僕を守ってくれていたのです。
夢を追いかけてやって来て、その夢は破れて、残ったのがこの街とこの街の人との友情でした。
それがなければ今頃間違いなく僕はここにはいない。
人と人のつながりがその人を作るんだなと思います。
27年間…たくさんの人に支えられながら生きてきました。
僕の周りの全ての人に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
日仏交流コーディネーター
山田 剛士
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