待ちに待ったブラジルワールドカップが、開催国ブラジルとクロアチアの対戦でついに幕を開けました。
試合開始前のブラジルの国歌斉唱をご覧になられたでしょうか。
ブラジルの国歌斉唱が始まると、エースのネイマールをはじめ多くの選手が感極まって涙を流し、
6万人を超える観客が国歌斉唱というより「国歌熱唱」。
さらに、国歌を歌い終えるとまるでゴールを決めた時のごとく雄叫びをあげる選手たち。
さすがはサッカー王国ブラジルと思わせる凄まじい雰囲気でした。
サッカーの国際試合では、試合開始前に両国の国歌の斉唱が行われます。
僕は学校で「君が代」を習った記憶はないし、親から教わった覚えもありません。
三度の飯よりサッカーが好きだった少年時代、テレビの前にしがみついて見た日本代表の試合で、試合前に流れるこの国歌を自然に覚えていったのです。
君が代だけでなく、学校や家庭が教えてくれない多くのことを学ばせてくれたサッカーは、僕にとって先生や父親のような存在だったのかもしれません。
「君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の蒸すまで」
「きみがよは ちよにやちよに さざれいしの いわおとなりて こけのむすまで」
平仮名にしてみるとよくわかるのですが、「五・七・五・七・七」の形、つまり和歌となっています。
(*ちなみにこのブログのタイトルは毎回「五・七・五」になっています。)
というのも、この歌はもともと平安時代から庶民の間に伝わる和歌であり、
明治時代に国歌を定める必要が出てきた時に、この和歌に音をつけたのが「君が代」なのです。
他の国の国歌と比べると落ち着いた荘厳な雰囲気で、悪く言えば地味でちょっと暗い印象を持ちます。
しかし、僕はそこにこそ日本らしさを感じます。
例えばサッカーの試合に挑む選手を想像してみて下さい。
試合を前に選手たちは感情が高ぶってきます。そこに流れるのがこの「君が代」なわけです。
一度高まった感情は「無」の状態となり、気持ちを落ち着けることができます。
「禅」であったり「侘び寂び」とも言えるかもしれません。
国歌が終わった後、一度「無」に持って行った感情は一気に極限状態まで高まります。
大きくジャンプするためには、一度屈む必要があるのです。
言ってみれば、君が代は気持ちの「バネ」を縮める役割をしているのです。
では、この歌にはどういった意味があるのでしょうか。
「君が代は」
「千代に八千代に」
「千年も、八千年も」
「細石の」
「小さな石が」
「巌となりて」
「大きな石となって」
「苔の蒸すまで」
「苔が生えるまで」
つまり…「天皇の御代(あなたの人生)が、千年も八千年も、小さな石が大きな石となって苔が生えるまで、ずっと続きますように」という意味になります。
君が代は、戦後以降、現在でもその歌詞が問題視されることがあります。
「君が代」の
「君が代」を問題視する人たちは、この歌は「天皇を賛美しているからいけない」と口を揃えますが、天皇を賛美することの何がいけないと言うのでしょうか。
また、「君」は「天皇」ではなく「大切な誰か、あなた」と解釈することもできます。
「天皇の御代が永遠に続く」ということは「日本が永遠に存在するということであり」、それは「大切な誰かの人生がずっと続く」ということにつながるからです。
その昔、世界では領土を巡っての「食うか食われるか」の侵略争いが繰り広げられてきました。
それが「戦争」だったわけです。
戦争に負けて他の国に侵略を許した場合、もちろん国はなくなり、君主は抹殺され、国民は奴隷となり、下手をすると殺されるのが常識でした。
ですから、大切な誰かを守るためには他国に侵略を許してはならず、君主が存在するということは、他国に侵略されていないことを象徴しているわけです。
日本という国は、2674年前(紀元前660年)に初代神武天皇が即位して以来、一度も侵略を受けることなく存続しており、これは現存する国家の中で最も長いのです。(*二番目に長いデンマークで1000年ちょっと)
また、「小さな石が大きな石となるまで」という歌詞は、「起こらないであろうことが起こるまで」という非現実的な比喩表現で、遠回しではありますが「永遠に」を表しています。
しかし、「小さな石が大きな石になる」という非現実的に思える現象は、実は科学的に十分に起こり得る事だそうです。
生田神社(兵庫県神戸市)のさざれ石 |
橿原神宮(奈良県橿原市)のさざれ石 |
これが小さな石が合わさって大きな石となったもので、「さざれ石」と呼ばれるものです。
「小さな石が合わさって大きな石となる」というのは、国民一人一人が集まって一つの国を成す様子を想像させます。
この「さざれ石」のごとく日本国民が一つとなり、日本代表の勝利を信じて応援すれば、日本代表がこの「食うか食われるか」のワールドカップの戦いを勝ち抜き、最も長くピッチに立ち続けることもできるのではないでしょうか。
山田 剛士
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