フランス語をやっていると、日々、様々な「気づき」があります。
先日はこんなことに気がつきました。
フランス語にavoir peur「恐れる・心配する」という表現があるのですが、その対象は常に「未来のまだ起こっていないこと」になります。
そのことを説明している際に、「過去のことを恐れたり、心配したりすることはあり得ない」ということに気がついたのです。
恐れ、心配、不安、悩み…そういったものはすべて、これから起こるかもしれないことを考えた時に出てくるものです。
そのように考えると、悩みを抱える人、不安に駆られている人たちは「未来」を生きてしまっているのかもしれません。
でも、「未来」のことなんて、結局は誰にもわかりません。
1時間後に富士山が噴火するかもしれないし、明日ロシアの大統領が暗殺されるかもしれません。
そもそも、自分が「明日」も生きることができる保証など、どこにもありません。
大切なのは「今」を生きることなんだと思います。
「今」の自分に何ができるのか、「今」の自分は何をしなければならないのか。
その積み重ねが「未来」になります。
「今」を一所懸命に生きていれば、不安や心配もなくなるかもしれません。
確かに、どんなに不安なことや心配なことがあっても、自分がすべきことに集中し、目の前のことに没頭しているときには、そういった不安や心配は忘れているような気がします。
ちなみに、実は日本語には「未来形」というものが存在しません。
ということは、私たちの先祖たる日本人はみな、「未来」のことはそれほど考えなかったのかもしれません。
おそらく、自然災害が多く、地震、津波、噴火、台風、洪水などがいつ起こるかわからない日本の地においては、これからの不安や心配を抱いても「仕方ない」と考えられていたのではないでしょうか。
そうであれば、将来の不安や心配は、豊かさがもたらしたある種の現代病のようなものなのかもしれません。
現代では「死」というものが遠いものに感じられるようになり、あたかも「明日」が保証されているような感覚に捉われてしまっているように思います。
「今」できるはずのことを「明日」に先延ばしにしたり、「今」出すべき力を「明日」のためにとっておいたり…。
「今」できることに「全力」で「本気」で「懸命」に取り組んでこそ、それがやがてしあわせな「未来」につながってゆきます。
ここであの林修先生の名言が思い起こされます。
「いつやるの?今でしょ!」
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